言葉のきつい人や、自分の都合だけで発言する人。
こういう、相手を思いやれない人が一人でもいると、
めちゃくちゃ雰囲気が悪くなる。

これは、対面じゃなくてリモートワークでもおんなじだなぁと
文字だけのコミュニケーションになりがちなリモートワークをしていると、
最近感じています。

というか、チャットを前に胃がキリキリする毎日…

愛想や愛敬が通じない

むしろ、文字しか情報がなくて、愛敬でごまかせない
言葉の選び方ひとつが印象を左右する割合ってすごく多いように思えていて。

多分、これまで「なぜか可愛がられていた」とか
テヘペロみたいので許してもらうことが多かった人には
ちょっとしんどい環境でもあると思います。

今日は、文字だけのコミュニケーションに対して
わたしが思うことをつらつらと書いてみます。

※ここでいう、リモートワークのマナーとは
偉い人から順に終話ボタンを押すとか、そういう儀式的なものではなくて
相手を思いやるという意味でのコミュニケーションマナーを考えます。

電話やボイスチャットを使っている会社もあると思いますが
基本のコミュニケーションのベースは文字の占める割合が多いでしょうし、
特に、チームで何かをする仕事や、人に指示や教育をする立場の方の参考になれば嬉しいです。

文字で不快を与える人の共通点

そもそも、文字だけで人のことを不快にすることができるのも
なかなかすごいなぁと思うのですが(苦笑)

自分が今までにイヤだな、と思った
メールやLINE、チャットなどの文章のやりとりを考えてみると

  • 言葉遣いが乱雑、命令口調、上から目線
  • 自分が連絡したい時だけ連絡してきて
    こちらの会話には返事をしない
  • 自分の攻撃ターン、といわんばかりに
    5連投とか鬼連投してきてうざい
  • (笑)やwを多用して小バカにしているようなテンション
  • メンバーの顔色を伺って、まったく発言しないで傍観している

という感じでしょうか。
「自分はこれは許せる」という基準はそれぞれでしょうが、
こういう人、いますよね。

「メンバーの顔色を伺って、まったく発言しないで傍観している」も
一見気を遣っているようで、意外と厄介。

その根底は「自分が」嫌われたくないという強烈なエゴの裏返しで
実際こういう人の無言の圧力が空気を悪くしていることってけっこうありますからね。
(わたしはアスペ気質で、複数人の会話になると空気が読めず苦痛なため
複数人のチャットは業務連絡以外は全て断っています)

(笑)も、茶化して逃げ道を作りたいだけの自己保身だったりしますし。

不快の理由は、ぶつけられるから

言葉で相手をイラっとさせたり不快な気持ちにさせる人の共通点は
決まって「自分だけの一方的な都合を押し付けてくる」
ということ。

上のリストを見て、
自分は大丈夫かな…と心配に思った方もいるかもしれませんが、
自分大丈夫かな、不快に思われていないかなと思える人は
その時点できっと大丈夫なはず。

言葉は唯一意識的にきれいにできる排泄物

私は、言葉って排泄物だと思っています。

自分の個人的な感情や欲求を、
どこまでも自分の都合で発して外に放り投げたもので
それって、意識しないと汚くて痛くて不快なものでしかありません。

だけど、物理的な排泄物と決定的に違うことは
意識すればきれいに磨くことができます

投げ方を変えることもできれば、
そもそも言葉を「出さない」という選択もできます。

ただ、あんまり出さないで溜め込んでいると、毒になって自分を蝕むので
そういう意味で排泄物だとわたしは思っていて
「言葉のガス抜き」は必要だと思っています。

実際、過去に初めてコールセンターで働いてみた初日には
軽く汗をかくくらいしゃべってスッキリして、
云い知れない爽快感のようなものを感じたこともありましたw

文字しかないから、文字を大切に

対面であれば、相手がどんな背景があってそれを言っているのか
声のトーンや感情で判断することができますが
文字ではそれがないので、判断が難しい。

あるいは、語尾や言葉遣いだけじゃなくて
その言葉を送るタイミングにも配慮のあるなしが垣間見えたり。

「。」一つにも意味がある

わたしは本業でデザイナーをしているときの癖で
何事にも意味を求めてしまいがちなのですが

「。」とか、空白も、何かしらの意思表示であったりすることもありますし
語尾が「…」か、「!」か、「。」か、何もないかで、
読み手が受け取る印象ってそれぞれ違いますよね。

簡素=ぶっきらぼうに受け取られやすい

というか大概、ネガティブなフィルターがかかってしまうことが多い
のが実際ではないでしょうか。

いつもテンションの高い人から急に絵文字のないメッセージが来ると
「あれ、怒ってる?」と不安になるあれですね。

相手は急いでいるだけかもしれませんし
そこに気を遣いすぎて1文を送るのに時間を使いすぎるのもどうかと思いますが
一方で、発した言葉を一切の加工をせずむき出しの状態で相手に投げるのは、
思いやりがないと言わざるを得ないと思うし
感情を「ぶつけている」コミュニケーションになりかねないと感じるのです。

キャッチボールが、ドッヂボールになっていませんか

ドッヂボール(って今の子たちもやるのかな)と同じように、
受け取る相手や関係性によって加減を変えることが思いやりなんじゃないかなと。

「あんまり強くぶつけられると怖いから、女子には優しくパスして!」とかいうあれですね。
怖いという女子と、それではつまらないという男子との平行線になったりしますよね。笑

相手に受け取ってもらう前提のコミュニケーションなのであれば
自分の腕力を誇示するような剛速球では投げませんよね。

それがたとえば、同じくらいの体力のある人どうしとか、
冗談の通じる相手とかであれば、良いと思うんですけれど
相手との関係性や、どうやって受け取ってほしいのかという目的によって
投げ方を変えるのは、ごく当たり前なことなはずです。

歩み寄れないなら離れるのも一つの結論

でも、あんまりにも歩み寄れそうにない、
一方が自然にしていることでもう一方が傷ついてしまうなら
そもそもトレードしない、関わりを持つのをやめる、というのも
一つの結論だと思います。

先ほどのドッヂボールの例だと
剛速球を楽しみたい男子と、みんなで仲良くを楽しみたい女子は
別々のことをした方がかえって平和かもしれないように

文字のコミュニケーションじゃなくてもそうですが
他人に合わせるために自分を捻じ曲げるのにも、限界というものがありますからね。

目の前にいない受け取り手のことを考える

そもそもぶっきらぼうになってしまいがちな原因って
目の前に相手がいないからなんじゃないかなと思っていて。

人間と話している実感がない

これって、電話でもそうで
電話越しになると態度が大きくなったり強気になる人がいるのもあるあるですが

目の前に相手がいないから、生身の「人」と会話しているという実感が薄れて
パソコンに文字を入力するような、そんな延長で書いてしまうんでしょうね。

私が言いたいのは、絵文字をたくさん使おう!とか丁寧語を使うとか、
そういう小手先のことではなくて
たとえ目の前に相手がいなくて、デジタル機器に向かって言葉を打ち込んでいたとしても
その向こうには確かに人がいるという想像力があれば
おのずと思いやりが多少なりとも出てくるんじゃないかなって思うんです。

きつく言いすぎたらフォローすればOK

逆に、文字の良いところは、挽回ができること。

文字は残るので完全撤回は無理ですが、
言葉のコミュニケーションだと、たとえばタイプミスしたり、
急いでいたり、何かの片手間で打っていて
ぶっきらぼうになったり言葉足らずになっていたとしても、
さかのぼって後から補足したり謝ったりとフォローができます。

対面だと一瞬で空気が移り変わってしまうので
一度発した言葉を撤回すると、「え、今更さっきの話?」って、ちょっと間が悪くなったりもしますからね。

あえてフランクに話しかけるのも、
時には思いやりになる

マナーというと、丁寧とか失礼のないようにと思いがちですが
時にはあえて崩して話すことも、一つの思いやりかもしれません。

それこそ言葉で書くと堅苦しく聞こえますが
時にはわざと間違えてみたり、誤字を直さないでそのままにしてみたり
特に、普段ちょっとお堅い上司がたまにそういう一面を見せると、
意外と笑いが生まれるかもしれないし、愛敬があっていいんじゃないかなと思ったり。

日本人は生真面目な人や、嫌われたくない思考の人は多いですが
なんかそういう、文字のコミュニケーション特有のガス抜きをするための
ジョーク文化みたいなのが、これから出てくるかもしれませんね。

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