私の住む地域では、院内感染やクラスターが後を絶ちませんが
ようやく外出自粛の努力が実ってか、コロナ感染者が頭打ちになってきましたね。

心配な友人に連絡をしない理由

今は独立のためにほとんどの友人と連絡を取るのをやめましたが
わたしは元医療従事者ということもあり、
学生時代からの友人には医療従事者も多く居ます。

明らかに一般社会よりもリスクの高い医療現場

おそらく、全ての病院がこういう状態ではなく
意外と平常運転している病院も多いのでしょうが
それでも、感染者と接触するリスクは確率的に高いでしょうし
「自分が移す側になってはいけない」という責任感もあるはず。

仮に今は大丈夫でも、
緊張感や恐怖と隣り合わせなのは事実でしょう。

友人や知人、元同僚たちのことが
心配じゃないかというと、嘘になります。

たまに、仲の良かった友人が心配で
「大丈夫?」と連絡したくなる気持ちもあります。

が、わたしは彼ら彼女らに様子を伺ったり、
頑張れといった連絡は一切しないことにしています。

本当に困っている時の心配は、
迷惑でしかない

理由は単純で、
自分ごときが心配してその心を伝えたところで
何の役にも立たないからです。

解決リソースがない心配は
冷やかしでしかない

わたしも状況は違えど、宛てもなく脱サラした時、
同じく「心配」「大丈夫?」というメッセージをたくさんもらったのですが
その当時感情としても、今思い返しても、
ぶっちゃけ迷惑でしかありませんでした

というのも、「大丈夫じゃない」ともし仮に答えたところで
彼ら彼女らは何の解決リソースも持っていないのは目に見えていたので
嘲笑われバカにされているような、冷やかしにすら感じたものです。

つらい状況だから尚更、悪い方に考えてしまうというのもあるでしょうし
もしこれが、不治の病とか失恋とか、
「そばに居てくれるだけでほっとする」ような悩みだったら話は別でしょう。

だけど、経済面や、仕事に困って
物理的に大変な時に無責任に「大丈夫?」と言われてもねぇ…

現実的な話、お金に困っている今も
友人や身内じゃなくて、金融機関からキャッシングしていますし。

その「心配」を無視して良い3つの理由

最近で言うと、コロナが流行ってからやたらと
「大丈夫?」みたいな連絡が連続して来ました。
(ちなみにこのタイミングで離職することは人には言っていません)

マジレスすると、元から大丈夫じゃないので大丈夫、という感じで
不安定でいることって、一番の安定なのかもしれないと思ったり。

最初は律義に元気だよとか返していましたが
段々返信することの無意味さに気が付き、バカらしくなってきたのでした…

解決策はあるか

というのも、これが例えば失業した人に対して
「仕事ならたくさんあるから自分のところで働かないか」とか
「うちに空室があるから貸してあげるよ」とか言ってくれるならわかるんですよ。

ですが、大半は明らかに解決リソースなんて持たない、
「手ぶら」
で声を掛けてきます。

あまりにそんな人が多いので
こんなに無意味なことしてくる人の動機を考えてみると
3つに分かれるのかな、という結論に行きついたので
今日はそれを考察して書いてみます。

1.自分が安否を知って安心したいだけ

そもそも心配って、本当にその人のことを何とかしたいというよりは
本人が本当に大丈夫か否かはお構いなしに、
「大丈夫だよ」という言葉を聞いて、ただ自分が安心したいだけだったりします。

相手にとっては、あなたが生きて連絡を返してさえくれれば
「元気そうで安心した!それじゃ」というだけです。

一見心配してくれる優しい人のようですが、
鬱だろうが貧乏だろうが、知ったこっちゃないというのが本音。
あなたが大丈夫じゃなくても、相手は「安心した」と言って気が済んで去っていきます。

安否というか、自分がただ相手の所在や状況を知りたいだけ。
ゴシップニュースを貪るただの野次馬です。

良い人ぶりたい

もっと言うと、こういう人って
「心配してあげている自分は良い人」という
自尊心(?)を満たしたいだけです。

人様に心配されたところで、
あなた自身の困りごとは何ひとつ解決していないのに、です。

あるいは、「何も声をかけない」という、
まるで自分が相手を見殺しにしている(?)かのような罪悪感に耐えきれなくて
とりあえず何か行動しておきたいのでしょう。

いずれにしても、あなたが困っているということではなく
自分の見栄を最優先して気にしている人です。

感謝するフリをすれば逃げていく

こういう人は
「ありがとう。あなたって本当、辛い時にいつも助けてくれて
本当に優しいね…!!」と全力で褒めちぎってあげれば、
自尊心が満たされ気が済むのを通り越して
本音を見透かされた恥ずかしさと、何の助けにもなっていない無力さに気付き、
いきなり恐縮しだして逃げていきますよ。

2.困っている人を見て優位に立ちたい
「無自覚マウンティング」

あるいは、もちろん本人は無自覚でしょうが
困っている人を見て、相対的に自分が優越感に浸りたいという
マウンティングであることも少なくありません。

無自覚なのでタチが悪いんですが
「メシウマ」状態ですね。

こんな人たちを相手にしたところで
不快になるだけで、1ミリも良いことがありません。
自虐でもしてさっさと負けてあげて、目の前から消えてもらいましょう。

https://mondbrand.net/carat/entry/141

以上。次。

3.自分の価値観に当てはめたいだけの
お節介

「あなたが今そんなに困っているのは、○○をした(しなかった)せいだ」と
あなたの行動に因果関係をつけて、反省会に持ち込む人です。

これは親・親戚や上司など、おじさんおばさん世代の人に多いですが
「そっちの道は危険だから戻ってきなさい」という
説教がましい押し付けのことも少なくありません。

結果だけを見て責める人は一定数いる

中には正論もあるのかもしれないですが
ただでさえしんどい境地の時に、外野から責められるってものすごく痛いんですよねぇ…

かと言って、その人たちが好き勝手論じる「正論」で失敗したって
誰も責任を取ってくれません。

失敗は成功の必要条件

過去の行動と因果関係があろうとなかろうと
わたしは失敗=悪だとは思いません。
むしろ、失敗を受け入れられる器があるって、すごいことだと思う。

失敗から学習するとか、別の切り口を考えるとか、
その人に必要な「必要悪」であることだって多々ありますからね。

失敗しない=成功ではない

「失敗しないこと」が、必ずしもベストとはわたしは思いませんが
「失敗しない至上主義」の人は、人の小さな失敗を責め立てようとします。

浴びるだけ不快な気持ちになるだけ。
こういう、そもそも根本の価値観が違う人の押し付けは
接触頻度を減らして、言われる機会を何としてでも減らしましょう。
間違っても説得したり、わかってもらおうとしないのが身のためです。

「心配」というきれいごとを使って
かまってほしいだけ

上記の3つに共通する意外な点は
あなたに構ってほしいだけです。

「心配」と言いがかりをつけて、あなたと接点を持とうとしているだけ。

結局は「心配」って、
相手自身が自分で処理すべき、相手の感情です。

こんな、相手の自分勝手な欲にいちいちかまっていては
あなたの時間が奪われるだけ。

あなたが本当に好きな人で、関わっていきたい人なら良いのですが
本人すら気が付いていない、その意図を少しだけ考えてみると
どう対応するのが最善かが見えてきやすいです。
(そして、イラつかなくなります)

何もしないという優しさもある

翻って、あなたが誰かを心配している時も
「自分がどう動くのが相手のためになるか」を一度立ち止まって考えると
その最適解が「何もしない」ということもあると思うのです。

本当に相手を心配しているなら
遠くから信じて見守る

本当に心配していて相手の力になりたいと思っているのであれば
わざわざ大変な局面のときに相手の時間を奪ったりせず
そっと必要な支援を差し伸べるのが一番嬉しいんじゃないかな。

そういう具体策を用意できないのであれば
遠くから見守っておいて、事が治まった頃にそっと、
「無事でよかった」と一緒に笑い合えたら良いですよね。

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