努力して暇な時間を作っているわたしですが、
ここ数週間、珍しくラフラするほど仕事が忙しく過ごしていました。

忙しい自慢は好きじゃないですが
つい先月までキャッシングでつないでいたにもかかわらず
副業と合わせると、キャッシングでまかなわなくて良いくらい
なんとか稼ぐことができるようになってきています。

時給単価がようやく「普通」になった

とはいえ、ようやく同年代の普通のサラリーマンくらい、
脱サラした4年半前の年収水準くらいになったくらいで
セレブになったとかそんなわけでは到底ないです。

体力を代償にして気合いで稼いだ一時的なものとはいえ
この、一般的には「普通」の水準を稼げるようになるまで、
長かったなぁ…

時間をかけて稼ぐ労働であるというのは否めませんが、
これまではいくら気合いで時間数を使って働いても
ゼロだったりしたわけですからね。

最初は働けどお金にすらならなかった

WEB業界も、個人のビジネスも
最初は市場価値なんてなく、最低賃金以下の労働生産性。
手を動かしても、働いても、お金にすらなりません。

だからまだ、対価に換金できるようになっただけ
普通の生活が送れる水準になっただけマシで
大きな進歩なのでした。

「たくさん働く」延長に何があるか

というわけで、これまでの負債を取り戻そうとコードを打って
その合間に副業のパートに出て、一心不乱に働いて
毎日、「今日、いくら稼げたかな」と電卓を打っては一喜一憂していました。

今日はちょっと足りないなぁ、
今日は頑張った!
稼ぎたいんだけど、思うように仕事が入らない、
前の仕事が長引いて予定が狂った。
この調子なら1ヶ月で○○万円くらいになりそうだな、
もうちょっと稼ぎたいからあと2時間だけ働こう…

時給労働をしていると
そんな感じで、価値基準が「時間」になります。
アルバイトと一緒ですよね。

価値基準がすべて時間になっていた

毎月ギリギリ足りるくらいのお金でつぎはぎして「セーフ!」となるような
貧乏学生のような生活水準はもういい加減いやだし、
誰しも、できることならちょっとだけ余るくらい稼いで
好きなものを値段を気にせず買ったりしたいですしね。

ですが、この生活を数週間続けていて
外食しているときに気が付いたのです。
(お店が空いている時間帯に一人でのんびり外食するのが好き)

「今のこの生活って、幸せなんだろうか。
この生活の延長上って、何があるんだろうか」

たくさん労働することは目的ではない

わたしがこの生活をあえて選んでいるのは
週5日、1日8時間当たり前のように拘束されながら生きることに疑問を感じ
それならば、労働価値を上げてより少ない時間で同等の価値を提供できるようになりたい、
という思いからでした。

ですが、今はその思いとは逆に
たくさん働くことで生活を安定させています。

たくさん働いていると、つい自分を正当化したくなりますが
単にそれは、今の自分が「忙しい」に逃げて
「創る」ことから遠ざかっていること、

今の生活はあくまでお給料をもらう生活で
未来的に稼ぎ続けるには、当然
今と同等かそれ以上の労働を続けなければいけないことを
ふと思い出したのです。

それをやって何が遺るか

学生時代も起きている時間をフル活用してバイトしていましたが、
すっかり、アルバイト学生みたいになってしまっていたんですね…

時給労働では、働いた分に比例してお金は入りますが
「たくさん働く」こと自体に付加価値は生じません。

働くうえで大事なことは
手足を動かした結果、対価はもちろんですが
何が自分のもとに遺るか、積み上がっているかということ。

せっかく働くのであれば、現状維持ではなくて
今よりも少しでもいい仕事をして、今よりも豊かな生活を目指したいですしね。

これが例えば雇われ労働であれば、勤務経験は自分のもとに残りますが
やめた途端に人脈もスキルも、会社にお返ししなきゃいけない。

お金を余らせるために働いて
得られるものと失うもの

お金って、「足りる」か「足りない」かの二択のみ。

有り余ったとしても、自分が買うものってたかが知れていて
お金がある時とない時で使っているお金の総量って、
そんなに大きく変わらないというのが持論です。

お金があるから買うものって、お金がない時も渇望しているはずで
というかむしろ、お金がない時ほど、欠乏感ゆえ
余計なものを買って物で気持ちを満たしたり
節約の反動で「ご褒美」と言わんばかりに散在してしまったりするもの。

物欲ってうまくできているなぁと思うのです。

高所得と低所得を両方経験してわかった、 生活レベルと物欲の相互関係。

よく、年収800万円以上になると幸福度は頭打ちになるといいますが
「足りる」ラインを一旦超えたとしたら、それ以上は
「もっと余らせる」ために気力体力や貴重な時間をすり減らすのは
徒労ではないかという気がしていて。

それが、社会課題の解決や使命感と達成感を持ったライフワークならいいのですが
そうでない「労働」であれば尚更。

年収800万にはなったことないのでわかりませんが
今月は大丈夫、というラインを超えていても
心配だからとついつい働きすぎてしまっている最近の自分に気が付いて
余分に稼ぐためだけになにをこんなにすり減らしているんだろう、と思って
勇気を出していただいていたお仕事をお断りしたのでした。

「忙しい」を言い訳にして
変化から逃げていた

しかも、ここ最近
肝心の自分のコンテンツの更新が滞っていて
だとすると、使うあてのない余剰資金を稼ぐために
自分の時間や体力をやみくもに消費しているだけ。

自分で何かを生み出すことをしていないし
それ(創り出すこと)が本質とわかっていながらも
怖いから、恥ずかしいから、「忙しい」に逃げているだけなんじゃないか
帰路につきながらずっと考えていました。

本気で取り組めば、きっと失敗する。

これまでも、お金にならない創作や企画をして
その間の生活費や貴重な寿命を無駄にしてきたわけで
これ以上、対価の不透明なものに投資して失敗することが怖かったのです。

変わりたくない理由がどこかにある

変わりたいけど変われない時って
変わらないほうが都合がいいことがあって
ちゃんとうまく釣り合っているものですよねぇ。

単純に動くのが面倒だったり、
恥をかくのがいやだったり、
失敗して損するのがいやだったり…

綺麗事抜きにすると、
何もしないほうがマシだったことなんてざらにあるし
そういう経験をしてしまうと尚

変化に多少の不快やコストはつきもの。更一歩目が重たくなります。

その変わりたくないは
本当に守り抜くべきものか

結局は、損得抜きにしても、多少の不快を乗り越えてでも
やってみたいかどうか、ですよね。

繰り返しにはなりますが
目先の恥や損得じゃなくて、
最後に自分のもとに財産として積み上がるものかどうかなのかな。

という自戒を込めた記事でした…!

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