最近、色々思うことがあり
今日は「逃げる」ことについて書いてみようと思います。

何度も逃げてきて気が付いた事実

決して自慢にはならないのですが、
わたしは過去に何度も短期離職を繰り返しています。

ここだけの話、仕事を飛んだ話をこっそりしようか~いわゆる「ブッチ」仕事を飛ぶ是非について、ジョブホッパーが思うこと~

無職になった期間も何度かあるし、
働きたいけどお仕事がない時期もありましたが
その経験から言えることは

何度でも生き直せるということと、
覚悟さえ背負えれば、逃げてもいい

と、強く思うし、
過去の自分と同じ思いをして苦しんでいる人がいたならば
このことを心をこめて伝えたいのです。

逃げることは「悪」なのか?

というか、
「逃げる」となると、否応なしに罪悪感を抱かされますが
そもそも、逃げるのって悪いことなんでしょうか?

逃げる人を責めて我慢を強いること自体が
一種のエゴ

逃げたら負けとか、今後の就職だとかなんとかで不利になるとか
どんなことにも最後までやり遂げなきゃいけないとか
努力や根性が足りないとか
途中で投げ出すのは社会人失格だとか…
まぁ人は色々と言うじゃないですか。

だけど、自分の人生に責任を取れるのは自分だけですから
他人の行動を自分の思うようにコントロールしようとする
その発言こそが無責任だとわたしは常々思うんですよね。

逃げなきゃいけないくらい
劣悪な環境が多いのも事実

そして、脱サラして色んな会社を渡り歩いて肌で感じたのは、
逃げざるを得ないくらい劣悪な環境だったり、
「逃げる」しか手段がないくらい、円満に去ることが難しい状況が
あまりにも多すぎることに驚愕したのです。

あなたに非がなくても、有限の命ごとむしり取ろうとする会社や人なんて珍しくないし
そういう場所からは、「逃げる」という強制的な形でも取らないと縁を切れないことって
確実にあるということ。

当の本人には相手の命をむしり取っている自覚はないでしょうが。
いやむしろ、無いからこそと言った方が適切かもしれませんね。

逃げることでかぶる泥より、
「逃げない」ことで失うもののほうが甚大

わたしは今、精神科で働いていますが、
限界まで逃げるという選択肢を知らずに、逃げることができずに
背負う必要のない他人のエゴまで自分ひとりで抱えて
心を病んでしまったり、体や生計を壊してしまったりした人にも出会いますし

自分自身も、もっと早くに「逃げる」という手を打っておけばこうならなかった、と
心と時間を失って大きく後悔した経験をしてきました。

最初に就職した職場でもめて追い詰められ退職した際は
命ごと捨てないとここから逃げられないのでは、と思っていましたが
ほんと、そんなことしなくてよかった…と、今思い出すとぞっとしています。

つまり、「逃げない」ことって
その一時だけ人に嫌われない、場を濁さないで済むというメリットこそあれど
失っているものや、我慢したことで自分に積み重なる負債は確実にあるんですよね。

逃げないことで得られるものは
「自分は悪くない」

結局、逃げないことであなたは何を守りたいのか
何を得たいのか、というと

自分が悪者になりたくない
ということなんじゃないでしょうか。

一時自分が悪者になることを諦めて
自分を守るために「悪者になる覚悟」を受け入れられると
おのずと行動は変わってくるはずです。

(あくまで自己防衛のために逃げる話であって、
もちろん、意図的に人を傷付けて良いと言いたいのではありませんよ)

逃げることは拒否の意思表示

実際、社会に出てから自分の待遇と幸福度を上げたのは
頑張ることではなく、逃げることと断ることでした。

非情になる度、待遇が上がっていたという真実から考える、「良い人」でいることの代償。~あと10年早く知りたかった本質~

むしろ、頑張っても頑張り続けなきゃいけないループにはまるだけで
あんまりろくなことはなかったような気がします…

逃げないことは「受け入れる」意思表示

必要以上の努力は、ストレスや疲労はもとい
便利屋に成り下がる自殺行為であり、他人を甘やかすだけでした。

頑張りすぎは、「自分の安売り」

頑張りすぎる、という行為は
自分という労働価値を値引きして投げ売りしているようなものかもしれませんね。
労働に限らず、人間関係でも同じです。

理不尽な待遇や依頼を受け入れるたびに
「この人は平気なんだ」「軽々とやってくれる」と思われ
さらなる無茶な要求や我慢(=値引き)が続くうえ
売り物にならないくらい自分がボロボロになってしまうだけです。

負の行動はエスカレートするのみ

わたしは、人の行動ってベクトルのようなものだと思っていて。

いきなりまったく異なるベクトルの行動をすることって、そうそうないし
あったとしたらそれは一時的な取り繕いでしかなくて、
(例えばパートナーのご機嫌を取るために急に優しくなるなど)
行動の傾向って再現性があって、時と場を変えて繰り返されるのみです。

例えば無茶な要求をしてきたら、その後も何度も無理を言ってくるでしょうし、
悪口を言う人であれば、仲良くなればもっと悪口を言いまくります。

1度ならいいとか、程度が些細だから、という問題ではなく
もし仮に「(我慢はできるけど)いやだなぁ」と感じたことがあれば、
その人は一生、その「ベクトル」の行動を繰り返しますから
今回だけたまたま、ではなく
また同じ思いをする可能性は非常に高いということです。

一度だけで距離を置くのはちょっと極端すぎるかもしれませんが、
同じような嫌な思いを2度以上したら、その関係性は要注意かもしれませんね。

綺麗事だけで改革は起こらない

最後に、
こういうネガティブな過去や反社会的とも捉えられかねない記事を書くと
お仕事を依頼してもらえなくなるとか、就職しにくくなるとか
イメージダウンするから書くべきではないと思う方もいるでしょう。

ですが、そのことも承知の上で
それでもわたしは臆せず書いていきたいと思うのです。
というか、きれいなことしか書けないような人にはなりたくない。

きれいごとを順守して、ネガティブに蓋をして幸せになれる時代ではもうないと思うし
綺麗事の上であぐらをかいている人がおいしい思いをしているこの理不尽な社会構造に
なにかしらの打開策を見つけられたらいいなと日々考えています。

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